自我消耗を防ぐ職場づくり

「自我消耗(Ego Depletion)」とは、自己制御や意思決定などの認知的な働きを繰り返すことで、集中力や判断力が一時的に低下する現象を指します。かつては「意志力は使えば減る有限資源」とされていましたが、近年の研究では、脳が効率よく働くために意図的に自己制御をゆるめる「調整メカニズム」として捉える見方が主流になりつつあります。
企業にとっては、こうした心理的プロセスを理解したうえで、従業員のパフォーマンスが安定的に発揮される環境を整えることが、いっそう重要な経営課題となっています。

監修医師:近澤 徹
精神科医・日本医師会認定産業医
株式会社Medi Face代表取締役

自我消耗(Ego Depletion)とは

自我消耗(Ego Depletion)とは、「意志力」や「自己コントロール力」は有限であり、使えば使うほど消耗するという概念です。ただし近年では、その再現性を疑問視する研究も増え、議論が続いています。

心理学における定義

自我消耗(Ego Depletion)とは、心理学においては「自己コントロールのリソースは有限であり、使えば使うほど消耗していく」という考え方です。人は日常の中で、感情の抑制や意思決定、集中力の維持など多くの場面で意志力を使っています。こうした行動を繰り返すうちに精神的なエネルギーが減り、やがて自己制御が効かなくなる状態を指します。この概念は、心理学者のロイ・F・バウメイスターらの研究をきっかけに広まりました

ウィルパワー(意志力)との関係

自我消耗(Ego Depletion)は、ウィルパワー(意志力)と密接に関係しています。自我消耗とは、意志の力(ウィルパワー)を使いすぎることで、心のエネルギーが減ってしまい、自己コントロールがうまくできなくなる状態のことです。たとえば、我慢や努力を続けていると、意志の力が少しずつ消耗していきます。そして、その力を使い果たしてしまうと、甘いものの誘惑に負けたり、難しいことに取り組む気力が出なかったりと、自分をコントロールする力が一時的に弱くなってしまいます。

自我消耗の再現性に関する批判

自我消耗(Ego Depletion)理論は、かつて「意志力は有限で、使えば消耗する」という考え方として広く受け入れられていました。しかし近年では、その再現性が乏しいことから、理論そのものに対して疑問の声が高まっています。
実際、多くの追試研究で初期のような顕著な効果が確認されず、再現性の問題が指摘されています。また、被験者の期待や実験環境の影響、つまり「実験者効果」によって結果が左右された可能性もあります。
さらに、仮に効果があるとしても、その規模は当初想定されていたよりも小さいことも分かってきました。最近の研究では、意志力の「消耗」は、実際にはモチベーションの低下や疲労感、集中力の変化といった他の心理的要因が絡んでいるとされており、単純に「リソースが減る」というモデルでは説明しきれないという指摘もあります。

自我消耗の再現性に関する最近の研究

近年の研究では、「意志力がただ単に減っていく」のではなく、脳がパフォーマンスを保つために“意図的にセーブする調整”を行っているという見方が強まっています。つまり、人は疲れて行動できなくなるのではなく、「まだできるけど、効率が落ちるなら控えよう」と判断して、自制を緩めるような戦略をとっている可能性があるということです。
また、精神的な疲労感、動機づけ、報酬への期待感などの心理的要素が、自我消耗と密接に結びついていることが確認されています。さらに、大規模な実験では、従来報告されていた自我消耗効果が必ずしも再現されないケースも観察されており、意志力が枯渇するというより、「やる気の切り替え」や「注意の再配分」がより肝心な鍵かもしれないという説も注目を集めています。

自我消耗が職場で起こる原因

職場で自我消耗(Ego Depletion)が起こる背景には、絶え間ない意思決定や判断業務が積み重なることによる脳の調整反応が関係しています。近年の研究では、脳が過度な判断や集中を「コストが高い」と評価し、あえて行動制御を弱める“戦略的な省エネモード”に入ると考えられています。

意思決定や判断業務の連続

職場において自我消耗(Ego Depletion)が起こりやすい要因の一つは、連続的な意思決定や判断の積み重ねです。とくに管理職のように多くの選択を日々迫られる役職では、脳が「これ以上判断しても効果が低い」と判断し、自然と集中力や行動制御を緩める“戦略的調整”が起こると考えられています。
このような状態では、冷静な判断が難しくなり、意思決定の質が落ちたり、チーム内の空気にも影響を及ぼしたりすることがあります。

長時間労働や過剰なマルチタスク

職場で自我消耗(Ego Depletion)が起こる要因のひとつに、長時間労働や過剰なマルチタスクによる脳の「負荷調整反応」があります。
従来は「意志力が使うほど減る」という見方が主流でしたが、近年の研究では、脳が過剰な負担を感知すると「これ以上は効率が悪い」と判断し、集中や感情制御などの機能を意図的に弱める“省エネモード”に入ると考えられています。
長時間労働は単に疲労を増やすだけでなく、脳が自己統制や判断に使うリソースを「節約」する方向に働かせ、結果的に集中力や意思決定の質が低下しやすくなります。また、複数の業務を同時に処理するマルチタスクも、タスク切り替えのたびに脳が負荷を受け、注意力の分散や作業効率の低下を招くことが分かっています。

人間関係や環境ストレスとの相互作用

職場における自我消耗(Ego Depletion)の背景には、人間関係や環境ストレスとの複合的な相互作用があります。近年の研究では、自我消耗は単なる「意志力の枯渇」ではなく、脳が状況を評価し、「これ以上集中しても効果が見込めない」と判断することで、あえて自己制御を緩める“戦略的調整”の一種と捉えられるようになってきました。
たとえば、上司や同僚との緊張関係、曖昧な役割分担、ノイズや温度といった物理的環境への不快感などは、それ自体が認知的・感情的な負荷となり、脳が「エネルギー消費に見合わない」と判断しやすい状況を生み出します。とくに、対人関係における気遣いやプレッシャーが日常的に続く職場では、集中力や感情コントロールに使われる認知資源が知らず知らずのうちに削がれていきます。
結果としてモチベーションの低下や離職リスクの上昇にもつながりかねません。

自我消耗による影響

これまでご紹介してきたとおり、近年の研究では、自我消耗(Ego Depletion)を単なる「意志力の枯渇」としてではなく、脳がエネルギーを節約しようとする調整メカニズムと捉える見方が広がっています。とはいえ、仕事の現場では依然としてその影響は無視できません。
集中力や判断力の低下が続くと、ミスの増加や業務効率の悪化だけでなく、仕事へのモチベーションやエンゲージメントの低下を引き起こすことがあります。特に、注意力や感情のコントロールが求められる職種では、意志力の消耗がパフォーマンスに直接響きやすく、職場の空気やチームワークにも影響を及ぼしかねません。

集中力・判断力の低下

たとえば、午前中はミスなく正確に業務をこなしていた従業員が、午後になると誤字や確認漏れが増えたり、意思決定に時間がかかったりするようになるといったケースは珍しくありません。これは、繰り返し判断や自己抑制を求められるうちに、脳が「これ以上リソースを使いたくない」と判断し、集中を維持する優先度を下げている状態とも言えます。
こうした“集中力の波”を理解し、重要な意思決定は午前中に分散させる、短い休憩をこまめに入れる、判断をチームで分担するなどの工夫が、パフォーマンスを安定させるために必要です。意志力を消耗するものとしてではなく、「適切に管理すべきリソース」として捉えることが、これからの働き方では求められています。

モチベーションとエンゲージメントの低下

本人の感覚としては「疲れた」「集中できない」と感じていても、実際に脳が燃料切れを起こしているわけではなく、「今はがんばるタイミングじゃない」と無意識にブレーキをかけているケースがあります。
このような調整が繰り返されると、集中力や判断力の低下が続き、業務のミスが増えたり、パフォーマンスの質が落ちたりすることがあります。
その結果として、モチベーションや職務へのエンゲージメントもじわじわと下がっていく傾向が見られます。

メンタルブレイクやバーンアウト

近年の研究では、自我消耗は単なる「意志力の枯渇」ではなく、脳がパフォーマンス効率を下げないように調整を行う自然なメカニズムと捉えられつつあります。しかし、こうした調整が長期的に続くと、現場では深刻な心理的負荷をもたらすことがあります。
たとえば、日々厳しい数値目標と顧客対応に追われていた営業職の従業員が、次第に自分の裁量で動ける余地を感じられなくなり、やがて仕事への興味を失い、ある日突然出社できなくなったというケースも報告されています。これは、自我消耗による認知的・感情的エネルギーの慢性的な低下が、心身の限界を超えてしまった典型的な例といえます。
こうした状況は単なる「疲れ」や「一時的なやる気の低下」ではなく、放置すればメンタルブレイクやバーンアウトといった深刻な心理的問題に発展するリスクをはらんでいます。

自我消耗を防ぐ・回復する方法

職場での自我消耗を防ぐには「単に休ませる」だけでなく、業務の意味づけや裁量のある働き方を設計することが重要です。たとえば、定期的なストレスチェックや1on1面談を通じて心理的な負荷を早期に把握し、本人の関心や目的に沿ったタスク調整を行うと、主観的な疲労感は大きく軽減される傾向があります。
また、業務量や判断の集中が特定の人や部署に偏っている場合は、作業フローの見直しや分業の工夫を通じて、判断疲れや感情労働の過剰を防ぐ必要があります。
要するに、疲れや集中力低下を「個人の気力不足」と捉えるのではなく、脳が自動的に行っているリスク調整の一環として理解することで、より実効的な対策が可能になります。

休憩や環境調整による意志力回復

判断や感情の調整が特定の人に集中しすぎると、知らず知らずのうちに自我消耗が進行しやすくなります。業務の属人化を防ぎ、意思決定や対応業務を分散させることも重要です。実際、過重な感情労働を抱えていた部署で、業務フローを見直し分担を明確にしたところ、集中力やモチベーションが回復し、離職率が下がったという例もあります。
結局のところ、自我消耗は「やる気がない」「頑張りが足りない」といった個人の問題ではありません。むしろ、脳の合理的な防御反応です。

ストレスチェックでの早期把握

自我消耗(Ego Depletion)によるパフォーマンスの低下を早めに察知する手段として、職場における「ストレスチェック」の活用が、いま改めて注目されています。
ストレスチェックは単なる「メンタル不調を自覚するためのツール」ではなく、意志力や集中力の消耗といった“見えにくい疲労の兆候”を可視化するシステムとしても非常に有効です。たとえば、ある企業ではチェック結果から「判断業務が集中する部署で高ストレス傾向が強い」という傾向が見つかり、業務分担や休憩体制を見直したところ、翌年には高ストレス判定者が3割以上減少しました。これは、自我消耗の「初期サイン」を見逃さず、早期に手を打った好例です。

組織全体での業務配分見直し

特定の人に判断業務やマルチタスクが集中すると、脳の実行機能が早期に“節電モード”に入り、本人の集中力や判断力が低下しやすくなります。
このような状態が続くと、当事者のパフォーマンスや健康が損なわれるだけでなく、チーム全体のモチベーションや士気、生産性にまで悪影響を及ぼすことがあります。
たとえば、あるIT企業では、プロジェクトマネージャーに集中していた意思決定業務をチーム全体に分散する取り組みを実施。判断フローを文書化し、業務内容に応じたローテーション制を導入することで、タスク負荷の偏りを解消しました。その結果、意思決定のスピードが向上し、チームメンバーの集中力と仕事への満足度が高まったと報告されています。
この事例が示すように、自我消耗のリスクを抑えるには「誰が、どのタイミングで、どれだけの意志力を使っているか」を見える化し、業務設計の初期段階から意図的にバランスをとる工夫が重要です。職場のパフォーマンスを高めるには、「疲れにくいチーム設計」が鍵になります。

高ストレス部署の特定と改善事例

判断業務や感情労働が集中的に求められる部署では、集中力やモチベーションの低下、さらにはバーンアウトや離職リスクの増加が見られます。こうした兆候に対しては、人事・労務部門が早期に察知し、介入する体制が求められます。
たとえば、ある製造業では、ストレスチェックの分析結果から品質管理部門に高ストレス者が多いことが判明しました。現場ヒアリングを通じて、ミスへの過剰な責任感や細かな判断が常態化し、心理的負担が慢性化していた実態が明らかに。
そこで、判断業務のフローを再設計し、過剰なダブルチェックを省略。さらに、週1回のミーティングでメンバー同士が感情を共有できる時間を設けた結果、半年後のストレスレベルは明確に改善し、業務効率も向上しました。
このように、定量データ(ストレスチェック等)と定性的な現場の声を組み合わせた分析を行なえば、実態に即した改善が可能となります。

監修:精神科医・日本医師会認定産業医/近澤 徹

精神科医 近澤徹氏

【監修医師】
精神科医・日本医師会認定産業医
株式会社Medi Face代表取締役・近澤 徹

オンライン診療システム「Mente Clinic」を自社で開発し、うつ病・メンタル不調の回復に貢献。法人向けのサービスでは産業医として健康経営に携わる。医師・経営者として、主に「Z世代」のメンタルケア・人的資本セミナーや企業講演の依頼も多数実施。


> 近澤 徹 | Medi Face 医師起業家(Twitter)

    まとめ

    自我消耗(Ego Depletion)は、以前は「意志力が使うほど減る」と考えられていましたが、近年の研究では、脳がパフォーマンス効率を下げないように“戦略的に自己制御を緩める調整メカニズム”とする見方が有力になっています。とはいえ、判断業務の連続やストレス、裁量の欠如などが続くと、慢性的な意欲低下やバーンアウトに発展するリスクがあり、職場環境の改善やタスク配分の見直しが重要です。
    国内最大級のストレスチェックツール「ストレスチェッカー」は、官公庁や上場企業、大学、大規模病院など幅広い現場で導入されてきた実績があります。未受検者への自動リマインドやリアルタイムでの進捗確認、医師面接希望の収集といった、実務に直結する機能も充実。さらに2025年5月からは、無料プランやWEB代行プランでも「プレゼンティーイズム(体調不良や心理的負担による生産性低下)」の測定が可能となり、欠勤に至る前の段階で課題を把握することができます。まずはお気軽にお問い合わせください。

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